1999年05月07日

小笠原の旅 〜南国は晴れた日に〜(1)

5/7-

始まり
小笠原諸島。名前には聞くがどんなところか知らないところ。おそらく行くことなど無いと思っていたこの場所に行くことになってしまった。目的は仕事だが、土日をはさむので半分は観光。初めて旅行代理店などに足を運んで、船のチケットと宿泊場所の予約を行った。代理店の人、ありがとう。なにぶん初めてのことだったので要領が悪くて面倒くさい客だったことだろう。小田急トラベルで船のチケット、日本旅行で父島での宿泊場所の予約をしてもらった。かかった費用は7万ぐらい。貧乏会社員には結構な出費であるが、まぁ会社からあとで出張費がでるのでなんとかなるだろう。そうして、いよいよ出港の日と相成ったわけなのである。

出港
 出発の日は5月7日。GW明けではあるが、まだ大型連休にしてしまっている人もいるのだろう。当日苦労して竹芝桟橋まで向かうと結構な人が集まっていた。チケットを入船券にかえてもらい、出港の時間を待つ。到着したのが朝の9時で出発が10時だったので、1時間程度朝食を食べながら自分の乗る船を見たりしていた。酔い止めの薬もこのとき服用するのを忘れなかった。船は定刻どおりに港を出港した。私は、船外にでて、出港を待った。徐々に船が動き出して岸から離れていくところを写真に撮ったりで、最初の1時間ぐらいは回りの景色なども見ていた。今日は天気がよくてなによりだったと思う。遠くの景色は霞がかかっていたけど。
 レインボーブリッジをくぐったあたりで船内に戻り、1時間程度仮眠を取った。お昼になったので、船内のレストランでお昼を食べた。カツカレーを頼んだのだが、まぁまぁの味だった。最近一人の昼ご飯はカレーが多いのだった。で、ご飯を食べてからまた、船外に出て音楽を聴いたりしていたがすごい風が強かった。もう、周りには島影も見えなくなってきていたし。

船内
 今回、乗った船はおがさわら丸という船だった(恐らくいつ乗ってもこれだと思うが)船の大きさは、それほどでもなかった。船内は桟橋から入ったところがCデッキで案内や、売店、レストランと2等船室があり、私が寝泊まりしたところはここの2等船室だった。ここは、結構広くて定員215名とあった(それはぎゅうぎゅう詰めになった場合だろう)。階段を上るとそこはBデッキで1等船室と特2等船室、特等船室がある。さらに階段を上るとAデッキがあり、ここから船外に出ることができる。船外に出ると、さらに上に上れる階段があり、そこを上ると乗客が上れる船の最上部へと出ることができる。外には救命イカダとあとはいくつかの椅子がおいてあった。出港間際はシートをしいて肌を焼いている人も見かけたが、出港してから2時間も経つと風が強いし、肌寒く感じるので人もまばらになった。私は、することもなく何度も外に出ていたが、一度などめがねが風で飛ばされもう少しで海に落ちてしまうところだった(それから外に出るときはめがねをはずしたのは言うまでも無い)。

食事
 旅の楽しみのひとつといえば食事だと思うが、船内の食事は特にバリエーションの多いものではなかった。お昼に出ていたメニューと夜に出ていたメニューはまったく同じで、無くなったものは食券が買えなくなっていた程度である。豪華客船でもないのだし、これは仕方が無いと思うが、値段は割りと高めで、ちょっとした定食が1000円前後だった。これは自分で持ち込んだほうがよかったかと思いつつ、昼は先ほど書いたようにカレーを食べて、夕飯は牛丼を食べたのだった。味は悪くはないのだが、ちょっと物足りなさを感じた。

船旅の夜
 日中の間に暇つぶしに持ってきた本などは読んでしまい、夕飯を食べた後は何もすることが無くなってしまった。これが、仲間内で来たのなら話でもしていればいいのだが、一人で来たのでそれもできずに早々に寝床に横になった。テレビはあったのでそれを見ているうちに寝てしまったようだ。9時ぐらいには電気も消されたみたいである。夜何度か目がさめたが、とにかく寝床が狭いので(170センチ以上はかなり厳しい)足が伸ばせないのである。ので、朝起きたころには腰と首が痛くなってしまった。

happyclub at 23:00│Comments(0)TrackBack(0) 一人旅 

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